2010年03月03日

雛祭り菓子「いがまんじゅう(伊賀饅頭)」

私の出身地である愛知県岡崎市周辺では、雛祭りの時期に「いがまんじゅう」と呼ばれる和菓子を食べます。

これがその「いがまんじゅう」。

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白い餅生地の饅頭にあんこが練り込まれていて、赤、黄、緑の3色に着色された餅米が乗せてあります。もちもちした饅頭の生地と、中のあんこ、そして上に乗っている少し固めの餅米の食感のバランスが絶妙なのです。

この季節になると、岡崎市内の和菓子屋さんはもちろん、スーパーやコンビニでも売られるようになります。子供の頃から当たり前のように食べていたので、特に地域限定のものだと思ってなかったのですが、東京に出てきてからは、雛祭りの季節になっても巷で全く売られていないことに気づきました。不思議に思って母に尋ねたら、母の実家のある名古屋にも無かったとのことで、三河地区、特に岡崎市周辺に特有のものだと初めて知った次第です。

でも「いがまんじゅう」の「いが」とは何なのでしょう? 子供のときは餅米が「いがいが」しているからだと思い込んでいたのですが、実はそうではなくて、漢字で書くと「伊賀饅頭」となるのです。

岡崎市には「伊賀八幡宮」という神社があって、その周辺の地名が「伊賀町」、その横を「伊賀川」という川が流れています。伊賀川の堤の桜並木が咲き誇る姿は圧巻で、花見の名所でもあります。どうやら「伊賀饅頭」という名前は「伊賀八幡宮」に因んで名付けられたようです。

「伊賀」といえば、愛知県のお隣三重県の忍者の里「伊賀上野」が有名です。調べてみると、岡崎市の「伊賀」も三重の「伊賀」と全く無関係ではなく、実はとてもつながりが深いことが分かりました。

岡崎といえば徳川家康の生誕の地であり、戦国時代は徳川家の祖である松平家が治めていました。文明2年(1470年)家康より五代前の松平親忠が、三重の伊賀の国から岡崎へ社を移して、松平家の氏神として創建したのが「伊賀八幡宮」です。だから元々は伊賀の国にあった八幡宮なんですね。その後、徳川将軍家の守護神としても受け継がれ、現在の社殿は三代将軍家光が寛永13年(1636年)に造営したもので、国の重要文化財に指定されています。

伊賀の国と岡崎のつながりは、伊賀八幡宮だけにとどまりません。親忠の曾孫で家康の祖父である松平清康は、伊賀忍者で足利将軍家に仕えていた服部保長を、伊賀からわざわざ岡崎に呼び寄せ配下としました。その保長の孫が、江戸城の半蔵門に名を残した「服部半蔵」です。伊賀の国にゆかりのあった服部半蔵がいたからこそ、徳川家康は「本能寺の変」の際に伊賀忍者に守られ、大阪・堺から岡崎まで逃げ帰ってくることができたわけです。もし服部半蔵がいなければ、家康は明智光秀の追手に命を奪われ、その結果江戸幕府は開かれず、日本の歴史は大きく変わっていたかもしれません。

そんな歴史ロマンに思いを馳せつつ「いがまんじゅう」を食してみると、また味わいが違ってくるのではないでしょうか。

「いがまんじゅう」は雛祭りの季節に、岡崎市の和菓子屋「備前屋」や「旭軒元直」などで買い求めることが出来ます。店ごとにそれぞれの伝統や特色や味わいがあって、食べ比べてみると面白いと思います。

私のオススメは康生通りの三井住友銀行近くの「和泉屋」の「いがまんじゅう」です。一個100円と他店にくらべ安いのに、もちもち感抜群でとても美味しいのです。

「和泉屋」は和菓子以外に赤飯を販売していて、このシンプルな赤飯の味が絶品なんです。私の赤飯好きは、幼い頃から「和泉屋」の美味しい赤飯を食べていたせいかもしれません。

ちなみに「いがまんじゅう」という和菓子は、埼玉県北部の行田市周辺にもあって、こちらの「いがまんじゅう」は岡崎の「伊賀饅頭」とは違い、何と赤飯で饅頭を包んだお菓子です。雛祭りに関係なく一年を通して食べられていて、名前の由来は、赤飯が「いがいが」しているからというのが有力なようです。

また余談ですが、愛知県には「おこしもの」と呼ばれる雛祭り菓子もあります。

こちらがその「おこしもの」です。

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熱湯でこねた米粉を鯛や扇などの木型などに入れて成型し、蒸し器で蒸しあげた後に食紅で着色します。これを網で焼いて、砂糖醤油を付けながらかじりつきます。

「おこしもの」は店で買うというより、各家庭の手作りが一般的。写真の「おこしもの」も、うちの奥さんの実家で作って送ってきてくれたものです。名前の由来が諸説ある中で、木型から「起こす」からというのが有力なようです。
posted by momo at 23:59| 東京 ☁| Comment(2) | TrackBack(0) | グルメ | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする