2015年01月17日

忘れ得ぬあの日

友人Oくんの結婚式に出席するため愛知県岡崎市の実家へ帰省した。
土曜の仕事を渋谷で20時に終え、東京駅から最終のひかりに乗車。
普段の帰省には東名高速バスを利用することが多いが、
翌日は朝から結婚式だ。
しかも披露宴でピアノを弾かなきゃいけない。
夜行疲れの眠気まなこでは、いい演奏はできないだろう。
そう考えて豊橋までの指定席を予約してあった。

豊橋で新幹線から名鉄に乗り換えて、
東岡崎駅に着く頃には日付をまたいでいた。
父に駅まで車で迎えに来てもらい実家へ。
翌日の結婚式での演奏に備えて、入浴後すぐに眠りについた。

明けて結婚式当日、1月15日(日)。
当時「ハッピーマンデー」という
月曜に祝日を集中させる制度はまだ無くて、
毎年1月15日が成人の日で祝日だった。
だから、毎年の結婚記念日を仕事休みでお祝いできる、
というのがO夫妻がこの日取りを選択した理由。

新郎新婦ともに僕の高校の同級生で、長い交際期間を経ての挙式。
彼らの晴れの宴でピアノ演奏をリクエストされた僕は、
発売されたばかりの「Dolphin Blue」という
映像作品のために作曲した曲を演奏。
イルカが群れをなして大海を泳ぐシーンに付けた曲だ。
彼らが自然をテーマにした映像を
好んで観ていることを知っての選曲。
打込みで作った原曲からピアノアレンジ譜を書き起こし、
今ほど人前でピアノを演奏する機会が無かった当時の僕は、
仕事の合間に練習を重ねて本番に臨んた。
その準備の甲斐あって、O夫妻にはとても喜んでもらえた。

15日が日曜で祝日だったため、16日は月曜だけど振替休日。
実家でのんびりと過ごした。
翌火曜日は朝から打ち合わせが入っているため帰京。
打ち合わせに備えて、帰りも新幹線移動を選択した。

豊橋から朝一番のひかりに乗車するためには、
午前6時7分東岡崎発の名鉄急行に乗らなくてはいけない。
早起きして父の車で送ってもらうことになった。
そして1月17日(火)午前5時45分ごろ、先に玄関を出た僕は、
一人助手席で父が来るのを待っていた。

そのときだった。
車が大きく縦に揺れた。
今まで経験したことのない揺れ方だった。
初めは地震だと気付かず、
誰かが外で車を揺すっているのかと思ったくらいだ。
でも違った。地震だった。長い長い揺れだった。

揺れが収まって父がやって来た。
「今の地震だったのかな?」「そうだろうな」
電車の発車時刻が迫っていた僕は、
地震についてそれほど深く語っている余裕は無く、
車が駅に着くと急いで電車へと向かった。

あの揺れが関西地方で起こった大地震だと知ったのは、
東京へ到着してからのことだった。
朝一番の新幹線で、震源の方角とは真逆へ移動したため、
列車の遅れは全くなかったが、
その後の新幹線のダイヤは混乱を極めていた。
始発に乗っていなければ、東京までの道のりは
恐らくものすごく長い時間を費やしただろう。

何より、震源から何百kmも離れた岡崎の地が、
あそこまで激しく揺れたことに驚いた。
そして、その自分が直に感じた揺れで、
何千人もの人の命が失われたことがショックだった。

あれから今日でちょうど20年。
改めて阪神淡路大震災で亡くなられた方々の
ご冥福をお祈りいたします。

10917447_833367940035527_9000413705460664815_n.jpg
posted by momo at 12:51| 東京 ☀| Comment(0) | TrackBack(0) | 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする