2017年03月08日

国際女性デーに寄せて

今日は国際女性デー。性差別を解決する方法はただ一つ、全ての人々が多様性を寛容的に甘受することしかない。

異性を愛する人(ヘテロセクシャル)、同性を愛する人(ホモセクシャル)、両性を愛する人(バイセクシャル)、両性とも愛さない人(ノンセクシャル)と、性の在り方にはいろいろな形があり、旧来の男女感に基づく「男らしい」生き方や「女らしい」生き方にとどまらず、さまざまな性のあり方が衆知され一般化されてきている。そして、今後その傾向は進んでいくだろう。

そういった流れの中で性に対する偏見は薄らいで来たとはいえ、未だ日本社会にも隠然と偏見は残っている。謂れなき偏見には、断固NOを突きつけるべきなのは間違いない。

ただ、性差別をする差別主義者も、性差別を断じる反差別主義者も、「多様性を認めない」という点においては同じ穴のムジナである。要するに了見が狭いのだ。だから、過剰な表現弾圧が生じ無用な反発を産む。

「男らしい」生き方や「女らしい」生き方を誰かに強制するのは明らかに間違っている。と同様に「男らしい」生き方や「女らしい」生き方を好んで追求している人や団体に対して、「それはやめろ」というのも明らかに間違った姿勢である。

その昔、ソナタ形式の「第一主題」と第二主題」を、「男性主題」と「女性主題」と呼んだのを、後輩作曲家のRさんに咎められ撤回したことがあった。両主題の対比的な性格を旧来の男女感になぞらえる呼称、…子供の頃にどこかで学習し何の疑問も持たずにそれを使っていた。

Rさんはジェンダー論者なので、旧来の男女感を持ち出すこと自体に異議を唱えたのだろうが、私が撤回を受け入れた理由はそこに納得したからではない。音楽的に見て多種多様な対比性を持っている第一主題と第二主題の性格を、旧来の男女感というステレオタイプの二元論に嵌め込むことの愚を悟ったからである。

第一主題と第二主題が男性的・女性的というような二元論に押し込められるべきではないのと同様に、男性・女性の在り方も二元論に留まらず多種多様であるべきだ。しかし、第一主題=第二主題ではない(むしろ対比性を求められる)のと同様に、男性=女性とはならないのは自明の理である。

男性、女性、そしてトランスジェンダーの人たちが、それぞれに尊重し合う社会を築くために、行き過ぎた反差別主義とは今すぐに決別すべきだ。重箱の隅をつつくような表現弾圧からは何も生まれない。より自由でポジティブな発想で我々の未来を創り上げて行こうではないか。
posted by momo at 23:21| 東京 ☀| Comment(0) | TrackBack(0) | ニュース | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする